田宮雑記

日常の思うことをつらつらと

小室哲哉

最近テレビで小室哲哉の曲を聴く回数が増えてるなと思い、通勤時間にいわゆる小室ファミリーのアーティストの音源を聴いてみる。

 

僕にとって唯一人生をかけた趣味と呼べるものは音楽で、そんなに絶対的な熱量を注いでいるわけではないけれど、中学校から見よう見まねで始めて、現在まで飽きずに続いている。

 

特に作曲する、編曲するという作業が好きで、おそらく、『自分の思い描いた通りに全てを最適化する』という欲みたいなところがモチベーションになっている気がする。そのため、そのイメージに対するノイズ、音楽でいうと『手癖』が本当に嫌いで、どんなに省こうとしてもいつも手癖のせいでイメージとは違うところに着地してしまうので、完成した時は少なからずフラストレーションも感じている。

 

こういう価値観で音楽を作っているので、大量にいろんな種類の曲を作れる人にはひどく憧れをもっているし、ただその中にその人の手癖を感じると、少し気持ちが萎えてしまう。

 

ただ、最近になって気付いたのだが、小室哲哉の作る曲に対して、手癖を感じない。とくに、全盛期の頃なんて作詞も同時にこなしていたし、手癖頼りでつくってるんじゃないかと容易に想像できるが、できあがったメロディにはそれを感じない。決まりのコード進行はあるにせよ、妙な癖がない。

 

正直、今聞き直して、何年経っても色あせない綺麗なメロディだなと思う曲なんてほとんどないけど、あの頃はたしかに売れていたんだよな。

 

何故だろう、と思う。

僕の尊敬しているI'VE SOUNDの高瀬さんも。よくよく考えると、癖がない。

 

 

彼らは手癖から逃れられたのか。それとも、手癖を感じにくい手癖をもっているのか。ただ、自分が聞き取れていないだけなのか。

 

 

うらやましい。自分もあんな風に、自分を脱いでしまいたい。