田宮雑記

日常の思うことをつらつらと

手の届く範囲を幸せに

いろんな手続きの関係で地元に帰ってきてました。

 

地元に戻ることがより具体的に見え始めてから、また少し見え方が変わってきました。あー、ここで生きていくんだなぁ、と。何をしようかなぁ、どんな生活になるかなぁ、どうせなら色んな楽しいことにたくさん顔を出せたらなぁなんて思いながら。

 

インターネットが普及して、より高スピードであらゆることがこなされる世界がきて、それについていかないといけなくて、更にはイノベーションという言葉により高すぎるクオリティーも求められるようになって。それに対応するために回復が追いつかない速度で消耗しながら生きる必要が出てきて。

 

それとともに価値観の変化までやってきちゃったから、企業はもはや働き方改革でリミッター解除するしかなくて。人間が、健康的かつ豊かに生きられるボーダーラインをこえちゃってると思うんですよね。

 

よく自己啓発系書籍コーナーに置かれてるような意識高い系の人たちは、それはそれで1つの正解なんだろうけど、結局のところものすごいスピードや熱量で生きてる分、そうじゃない人たちとは両立できない生き方になっていて、自分がそんな生き方を望んでいるかと明確にそうではなくて。

 

もう少し生活に空白があってほしい。オンオフが明確にあって、オフのところでしっかりとオフになれる生き方がいい。むしろ、オンを充実させるより、オフを充実させることの方が難しいんじゃないかなとさえ思っていて。

 

 

自分の手が届く範囲が人生で、自分の手が届く範囲が幸せであれば一先ず幸せ。上に書いた意識高い系の人たちも、結局そこに行き着いてるように見えるんですよね。ものすごい最先端で生きてる感があって、それはそれで正しいんだろうけど、その最先端の範囲って自分の手が届く範囲じゃんって。

だからまぁ、あえてそんな風に最前線でひたすら放電しながら生きなくても、自分の手の届く範囲の幸せを捉えられてればいいのかなぁって。特に自分は、家族が幸せっていうところが結構自分の幸福値の大きいところを占めているから。今後、親のあらゆる変化に対しても、正しくバトン受けて繋いでいくことは大事だと思ってるし。

 

 

さて。ひとまず今週であらゆることが1つ決着できそうなので、また大きく息を吸い込んで、次のステップにのぞみたいと思います。

 

新しい一歩

この数ヶ月。ものすごい密度で過ぎて行きました。やっと、少しだけ一息つける状態ができたので、こうやって文字に起こしています。

 

結論としては、転職という道を選ぶことにしました。

 

まだ次の就職先の内定をもらったという段階で、手続き上正式な書面に捺印して完全合意という形にはなっていないのですが、心も体も転職の方向に完全に向いて動いています。

 

先日の日記に書いていた、価値観のズレ。世の中の見え方。そういった1つ1つを、実際にSNSで繋がった方々と実際にお会いしてお話伺う機会をいただき、今まで不明瞭だったものを知る作業を続けてきました。

その中で思えたのが、やはり周りの色んな人たちがそうせざるを得なかった状況の中で選びとっているんだなぁということ。文字にすると当たり前ですが。

人生ってパッチワークみたいになってて、ひとつの模様をずーっと続けていかなくてもそれでそういう模様として成り立ってるんだなぁということ。人生を通して、同じ模様でずっと続けるなんてこと自体が無理なんだなぁと。

 

そういうことを考えると、今の自分にあった形があって、この先を想定した時に自分がこうあれたらなって形があって。これに対して今の自分が不自由な状況であれば、自由と思う選択肢を選んでもいいのかなぁと。

 

もちろん色んなリスクはあって、今回の選択は今現状に比べると給料的な安定性はリスクがあるのだけれど、ただある年齢をこえると全てを満足する選択肢なんてないという事情が増えてきて、やはり何を選択するかが重要で。

ただ、以前に比べると、リスクがあってもリスクマネジメントできる事柄なのかどうかという価値観も生まれて、正直今の給料的に安定した職場で心を曇らせて仕事ができない状態になったら一気に給料的な安定性は確保できなくなるし。そう考えるとあーもうどういう状態でもリスクはフラットに存在しているんだなーと。今が安定というのは、ある意味思い込みなんだろうなぁと。

 

今回の選択に、もったいないという人はいるだろうし、逆に明確に優先度を持って選択できるっていうことはすごいことだって言葉ももらったりしたけど、やはり前向きなビジョンが持てないと苦しいと思うんですよね。ネガティブな未来がきても前向きな発想が持てていればなんとかなりそうな気がするし、そこについてはこれまでの人生における自分のパフォーマンスに対する評価などからある程度論理的に打算ちゃえるところもあるし。

 

今回のもろもろの動きで、自分の本当に価値と思うことも見えてきたし、それは別に企業という形を取らなくても積極的なプライベートの枠で十分達成できることだということも分かったし。あーこれなら超頑張ればできそうだなといイメージももてたので、新しい場所でまた頑張ろうと思います。

 

何が幸せなのか。これからも、定期的に疑って考えて、アップデートしていかないとなぁと。すごく勉強になりました。

 

 

 

 

スマホ前提の世の中は、あと何年続くのだろう?

妻と子供が例年のように早めに帰省して、独身気分で生活を送っている。最初の頃は、あー束の間の自由だー!と心躍らせていたが、今では炊事洗濯もこなしながら仕事のことや諸々の勉強で割と磨り減っている気がする。そして、なんだかんだ、家に帰ると家族がいないのはしんどい。わちゃわちゃしてる子供も、それを叱る声も、なんだかんだで心地が良い。

 

 

さて。相変わらず、考えすぎな毎日を送っている。何がベストな選択なのか。あらゆるシミュレーションをやっては、結構それだけで神経が削られる。現職へのやる気は変わらないのだけれど、どうしても気が散ってしまう。

 

 

少しだけ、SEに関するイメージがついてきた。たぶん今の自分が興味を持っていることは、サイト運営やアプリ開発だけでは成立しないんだと思う。モノとコト。そして、そこに感情が連動する。そんな仕組みのデザインに憧れる。

 

ずっと昔から、クリエイティブに魅力を感じて、音楽を続けてきた。0→1を生み出す際に、いかに頭の中の1と実際に出来上がる1を近づけるかにもがいたり、1を狙ったつもりが虚数が出たりするところにおもしろさを感じてた。

1から100にもっていくところも、すべてを頭の中の100にいかに近づけられるかなこだわったし、イレギュラー的な虚数項にもおもしろさを感じたし、他の方との共作で、100が余裕で10000とかになるところにもすごく楽しさを感じた。

 

と同時に、0→1は自分はそういう才能がないから無理だ、そういう風に生まれてない、という人もよく見てきた。こっちからしたら、0→1なんて、ある意味課金ガチャに近い、何が出るか分からないもので、よほどこだわらなければ大したエネルギーも必要としないのに、やる前から0→1は自分にはできないと割り切る人が多いことにやるせなさを感じていた。

 

もっと、クリエイティブが身近になればいいのに。もっと、そこのハードルが下がればいいのに。そうすれば、もっといろんな人の楽しいが積み重なるのに。

 

 

それは僕の中では確実に価値なんだけど、ある程度の規模の会社になると、「売上/労働者」の計算式に価値が圧迫される。売上は?市場規模は?市場成長率は?想定される売上見込みは?そこに対して自社が取り組むメリットは?

 

 

価値のものさしが合わないことへの歯がゆさ。志をもてばもつほど、ものさしのズレがとても大きく跳ね返ってくる。志のない人は、自分の安住の地を荒らすなと、僕の足に絡みついてくる。色々なやり方で。

 

 

まだあと30年以上は働くことになるだろう。

それを考えると、今いきっているイノベーションの形もちゃんと飽和しきっているに違いない。スマホが大前提で語られる未来も、スマホではない新たな手段が出てるに違いない。

 

 

30年以上変わり続けていく価値の連鎖の中で、自分は何を価値と思い、何をしていけるんだろう。

35歳

35歳。とても不思議な数字。

 

ちょうど今週、知人が超優良安定企業を辞めた。地元に帰る、ということらしい。奥さんがこれまた安定企業で働いているので、これから主夫をしながらの転職活動らしい。

 

すべては選択なのだなぁ、と思う。

 

自分も、10年間ひとつの会社で働いてきて、気付けば仕事をこなす時に使うエネルギーがすごく効率的になった。経験と技術のバランスがいい具合にとれてきて、ある程度のイレギュラーも加味しながら、今回の仕事が何手詰みなのかもかなり正確に読みながら仕事をさばけるようになった。

 

そういう、ある意味で余裕が出て、自分のこれまでとこれからを両方見渡せる位置にいるのがちょうど35歳という年齢なんだと思う。

 

どうやったら、もっとわくわくしながら、やりがいを感じながら、そして価値を感じながら、生活ができるのだろう。

 

今は色んなルートが見えてはいるけど、何が一番ベターな選択なのか、まだ、ふわーっとしてる感じ。ただ、偉くなりたいわけではないということは、確信を持って言える。

 

 

自分が本当にやりたいこと?

今年になって、ちょうど使い勝手のいいポジションになったためか、会社のあらゆる研修にあてがわれておりまして、今流行りのイノベーション関連の研修をいくつか受けています。

 

正直、いくつか受けるってのもどうなのかなぁと思っていたんですが、イノベーションに対する捉え方やアプローチがみんなそれぞれバイアスがかかっていることが分かって、結果的には複数受けてよかったなぁと思っている次第です。

 

その研修の中で、『自分が本当にやりたいイノベーションとは何か?』というのを深く考える時間がありまして。正直、自分の中では会社で働くという行為に対して、お金を稼ぐという要素がメインで、ただし知的好奇心の満足、人生の長い時間取られるからどうせなら楽しくやりたいよねって気持ち、意外と真面目な性格だったということもあり、それなりに生産的に前向きに、やり甲斐を感じながら仕事をしてきました。

ただ、会社は自己表現の場だ、という言葉にはどうしても抵抗感があったし、みんな本当にそんなテンションで働いてるの?って思っていたのですが、研修を通して、意外にもリアルにそう思って働いている人がいることを知って、結構動揺しました。

 

本当に自分のやりたいこと。

 

よくよく考えると、そんなに自分を深く掘ったことがなかったなぁと。仕事の要素要素には興味を持っていることに気付いていたのですが、これが自分のやりたいことだ、という階層までは踏み込めてなかったなぁと。反省すると同時に、かなり色んな文字を漁りました。情報を集めました。自問自答を繰り返しました。

 

 

正直、まだはっきりとこれだというものに出会えているわけではないのですが、そもそも自分はなんで今の仕事を選んだのか、これから長いスパンで自分を見た時このままの延長線上の未来にのっかっていていいのか、自分はどういう生活がおくれたら本当に幸せだと感じるのかななど、色んな大前提を疑ってみて、少しずつ、少しずつですが、紐がほどけていく感覚があります。

 

少なくともその中で気付いたのは、頭の中にあるふわっとした、でも確かに価値があるものを具現化するのが好きで、自分以外のイマジネーションが重なり合って出来てきた得体の知れないおもしろい何かがとても好きで、そういうことを仕事の中に取り入れていくためには、今の自分の狭い守備範囲の中だけではダメだということでした。裁量が、広がっていない。致命的に。

 

もうすぐ四捨五入したら40になる年齢になってしまいまして、世間一般ではここから自分を変えていくことってなかなかしんどい人が多くなってくるんでしょうが、自由な自分を勝ち取るために、今できるやるべきことをちゃんと取り入れていきます。

 

 

色んなことが、分かったような気持ちになっていたなぁ。

部下のモチベーションをあげようとすることで下がる僕のパフォーマンス

ここ数週間。会社でいろんなことが積み重なって、鬱のイーシャンテンくらいまでいってました。今はなんとか持ち直したのですが。

 

まぁかなり仕事を詰め込まれすぎだってところと、家庭でも子供含めて新しい環境になったことによるストレスと、いろんなことが複合的にきいてしまったんですが、一番きいたのは会社での人間関係でした。

 

趣味の音楽においてもそうなんですが、何かを作るであったり、何かの役割を与えられた時に、どうせやるなら上手くいくにこしたことない、どうせ作るなら満足できるものを作りたいという気持ちが強くて、知らず識らず周りとの温度差がうまれ絶望するという流れがありまして。

大体が金銭的なところが発生してないのに何でそんなに一人いきんでんだよってケースが多かったので今まではある程度納得がいっていたんですが、給料もらってるという大前提においても何一人いきんじゃってんのケースにぶつかっちゃいまして。よりいいものを作るためにはお互いの考えを持ち寄ってディスカッションをして、ってのが当たり前だと思っていたんですが、自分の想像以上に自分の庭に踏み込まれたくない人が多いようで、かなり煙たがられています。結果的に、会社の中でまともに会話する人がごく少数になってきました。

 

ある程度大きい場所ならば喋らない人の方が多いのがざらなのでそんな気にすることはないんでしょうが、今の部門がかなり少数で、必要以上にみんなで仲良くしようぜ感があるので、逆に誰とも喋ることができない環境が精神的に厳しくなりまして。そんな自分が落ちている様を見て喜んでいる人もいたようなので、更に人間不信になってます。なんとか持ち直したと書きましたが、実際は最悪の状態よりは心は落ち着いたって感じで、会社での喋らなさはマックスです。いやぁ、ボディブローのようにきいてきますね。

 

今年から部署の管理的なところもまかされるウェイトが大きくなったので、部下の育成であったり仕事がうまくいくためのコーディネートだったりってところをどうすればいい結果に繋げられるかというところで考えていたんですが、そういう部分もあってなかなか精神的な反動が大きかった。正直、この人たちがどうなろうが部署がどうなろうが自分の知ったことではない、というスタンスにすることでやっとこさ平静を保ててるという状態です。

 

正直この状態でうまくいくような気持ちもしていないのですが、こんなにもパフォーマンスが落ちる状況にハマってしまうとどうしようもならんなという状態で。部下の言い分も、いやそれ甘えやろ以外の何物でもない感覚なんですけど、そんなことであっても無視せずに部下が働きやすい環境を作ることが組織の機能を高めるんだと言い聞かせて結果自分が機能不全という。

 

うーん。誰しもが通っている道なのかもしれませんが。なんだかとても、今の部門で働くことへのモチベーションを失ってしまっており、どうしたらいいのか分からないというのが本音です。

 

ほんと、こんなんで自分が鬱になることが一番不毛なので、そこにテンパイくらいまできたら一気に流局させようとは思ってるんですが。難しい時間が続きます。

オリジナル曲『有題』が公開されました

一昨日ですかね。ニコニコ動画を中心に活動されている歌い手の溝さんとコラボさせていただき制作した曲『有題』がニコニコ動画に投稿されました。

 

http://www.nicovideo.jp/watch/sm32485039

 

作詞、歌/溝

作編曲/田宮

 

YouTubeの方にも投稿されたのかな?おそらく、投稿されることになると思います。

 

 

元々は私、初音ミクのようないわゆるボーカロイドを使ってオリジナル曲をニコニコ動画を中心に公開して活動していた(一応、まだしている)のですが、学生時代にバンドを組んだり、それこそ自分で歌唱もしてたりしていたこともあり、SNSで知り合った歌い手さんに自分の作った曲を歌ってもらう、というのがわりと大きな目的を占めておりまして。今回は、ニコニコ動画で知り合った素敵な歌を歌う方に曲を歌ってくださいという風にお話を持ちかけまして出来上がった曲になります。

 

あくまで僕の印象なのですが、溝さんは言葉の切り方であったり歌い回しだったりの語感をすごく大事にされてるなーという歌い手さんで、そしてSNSで使う言葉などもこだわりが強いというか、総じて言葉というものに対してすごくこだわりをもった方なんだろうなぁと思っていました。

そんなこともあり、溝さんについては、こういう曲を歌ってほしい、というだけでなく、溝さんに歌詞を作ってもらったらどんな言葉が仕上がってくるのだろう、という興味もあり、今回歌唱だけでなく作詞もお願いしました。

 

 

結果どうなったかは、聴いていただければ一発ですよね。もう、なんというか、ほんと、正直自分の想像していた斜め上を完全にいかれた気持ちです。これが、共作、コラボというやつなんだなぁと。醍醐味だなぁと。本当に、かっこいい曲に仕上がったと思っています。

 

 

コラボをしました、と簡単に言っていますが、SNSで活動されている方はわかるかと思いますが、誰かと一つの作品を作るというのはすごく難しいことでして。

たとえば動画として後悔する場合、楽曲だけでなく絵や動画を作っていただく人とも共作する必要があり、当たり前ながらそれぞれの方に自分なりにのこだわりがあるので、なかなか一つの方向に同じ意識、価値観、熱量で製作するのって本当に難しくて。SNSでは特に、顔を知らないことが多いですしね。会社で何かのプロジェクトに入って仕事をする時の難しさと同じですよね。大体がまとまらないことが多いですりシナジーを発揮できることなんて稀。

 

今回もそういう過程があり、難産な部分も割りとありましたが、結果的に丁寧にお互いの価値観、こだわりを擦り合わせることをやれたおかげで、最終的に、ほんと、一人では確実に作れない曲に仕上がったという満足感に包まれています。

 

聴いてくださった方からまた次の曲もこのコラボで、って言っていただけてるのをツイッターで拝見しまして。ほんと、こちらとしても、また是非コラボさせてもらえると嬉しいなぁと思っている次第です。なんというか。溝さんと曲を作ると、確実に自分一人が作るよりもすごいものができる、という確信めいたものがあるのです。創作において、信頼を置ける方とご一緒できるというのは、なかなか恵まれたことだなぁと思った次第です。

 

 

私個人としても段々と音楽に捧げていた時間が仕事に消費されることが多くなってきましたがら、やはり音楽でしか充電できない部分が自分の中にはあるので、人生の中で確実に確保しないといけない時間だと自分の中で割り切って、しっかり音楽をやっていけたらと思っています。

 

田宮